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INTERVIEW #05

ブラッドレーを履いておけば
パリダカでも安心だった

ラリーレイダー・冒険家
久保田 勝(くぼたまさる)
パリダカ15回出場の元人気番組ディレクター
石原孝仁(いしはらこうじ)
久保田&石原

日本縦断からパリダカへの軌跡

久保田さん

ジープで日本縦断に挑戦して、83時間20分かかりました。九州の佐多岬から北海道稚内の宗谷岬まで。それを毎日グラフ(当時の写真雑誌)に載せてもらったことが始まりです。
それで東京の横田(横田紀一郎氏)から「東京出てこい」と誘われて。
初めて海外に出たのが横田と一緒に28歳の歳でした。

日本テレビの番組「おはよう700」で、アフリカ横断それからモロッコの第三ルートでドイツのミュンヘンまで。
それが終わって、パリ・ダカールラリーにエントリーしだした。
僕は結局、パリ・ダカールは出走12回、完走5割でしたね。

日本のマスメディアで初めて「パリダカ」が登場

石原さん

横田さんがアフリカを旅しているとき、(パリダカを)リタイヤしたクルマとすれ違ったことからパリダカを知ったのです。
「おい、『パリダカ』って知ってるか」って話になって。

KP61(スターレット)で久保田さんがドライブして挑戦するんだって、僕が番組で特集組みました。
それが、「パリダカ」が日本に紹介された最初でしたね。

久保田さん

僕はノーマル(無改造クラス)でずっと。
不整地を走るから、ややこしい改造は無しで、ターボの圧力を上げるぐらいで、どこもいじってないんです。

ホイールへの負担を4x4エンジニアリングに相談

石原さん

ピスト(わだち)のウォッシュボード(洗濯板のように凸凹の続く道)を走ると、タイヤホイールがものすごく痛むんです。
この「なるほど号」を最初に走らせるときに使っていたホイールはテストで持っていったんだけど、ぐにゃぐにゃになっちゃって。数持っていったから何とかゴールはできたけれど。
それがあったので、次に4x4エンジニアリングの松本さんのところに相談に行ったんです。

「今まで使ってたホイール全部ダメなんですよ」と相談したら、「うちのホイールなら絶対大丈夫だ!」って。
そうして、ブラッドレー02を使うようになったけれど、それでもリムエンドが凹んだりして。松本さんはそれがよほど悔しかったらしくて(笑)。
「わかった。じゃあ凹まないホイール作ってやる」みたいな流れに(笑)。
そんな感じで、BRADLEYの開発が進んでいくの。

レースからのフィードバックで、ブラッドレーは理想的なバランスに仕上がった

石原さん

そうしていろいろなホイールをテストさせてもらって、結果的には四駆に合うものができあがった。

BRADLEYの魅力は、バランスだと思うよ。
レースで使えて、一般の道でも使える。そんなホイール、多分(他には)無いと思うね。
パリダカに出して、目一杯レースに寄せたところからフィードバックしてるから、そこから戻していくのはそんなに難しくないはず。

このあとで僕、速いテラノでパリダカに出るの。
それでもBRADLEY Vをずっと使っていたけど、最初の200kmぐらいはワークスのパジェロとかシトロエンとかと並んで走れるレベル。
でももう、足元は全然心配ない。

(ライバルたちも)みんな見に来たよ。「どこのホイール?」とか言って(笑)。
自分たちでも使いたいもんだから、写真撮ったりメモしたり。
BRADLEYは本当にちょうど良くなった。
いろいろなことを言っている間に、柔軟性のある固まり方ができたのだろうね。

BRADLEY 40TH ANNIVERSARY